社 名 |
ミナミ産業株式会社 | ||
本 社 |
三重県四日市市東新町3-18 TEL 059-331-2158(代表) FAX 059-331-7324 |
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工 場 |
三重県四日市市白須賀1丁目15-26 TEL 059-332-7698(代表) FAX 059-331-7274 |
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代表取締役社長 |
南 川 勤 | ||
取締役副社長 |
川 淵 雅 仁 | ||
資 本 金 |
10,000,000円 | 従 業 員 数 |
16名 |
主 要 取 引 先 |
・国内、海外豆腐、油揚げ、豆乳メーカー ・大豆卸業者 ・大豆加工食品機器販売店 ・食品メーカー ・食品問屋 ・飲食店 ・ホテル、旅館 ・カタログ、テレビ通販業者 ・有名百貨店、量販店、セレクトショップ ・貿易会社 |
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取 引 銀 行 |
百五銀行、商工中金、三菱東京UFJ、桑名信金その他 |
1951年 | 故南川末一と共に現在地において現取締役会長南川豊が豆腐の濾過布の販売を開始する。 |
1952年 | 豆腐用の凝固剤の販売を開始する。 |
1953年 | 大豆摺機を開発、機械製造の第一歩を踏み出す。 |
1962年 | 真空煮釜を開発する。 |
1966年 | ガス式フライヤーを開発する。 |
1968年 | 11月1日 現在地において、ミナミ産業株式会社を設立する。 代表取締役に南川豊が就任する。 |
1974年 | 簡易油揚げ自動包装機「ミナパック」を開発し、ヒット商品となる。これをきっかけに全国規模での販売を開始する |
1975年 | 1975年 自動凝固機「ミナワーカー」を開発する。 |
1981年 | 省スペースな縦型プレス機「パイルプレッサー」を開発し、ヒット商品となる。 |
1992年 | 代表取締役社長に南川勤が就任する。 |
1992年 | 技術顧問の奥村信二農学博士を迎える。 |
1993年 | 全国豆腐機器青年工業会の初代会長に南川勤が就任する。 |
1995年 | おからの出ない大豆まるごと豆腐製造プラント1号機を開発。 |
1996年 | 異業種連携で小型卓上豆腐製造機の開発に着手。 |
1998年 | 改良型小型豆腐製造機「豆クック」を発表する。韓国でGUMYONG-MINAMIを設立し、販売を開始する。 |
1999年 | ホテル飲食店向け卓上豆腐製造機「豆クックミニ」を発表し、水平的多角化の一歩を踏み出す。 おからの出ない大豆まるごと豆腐製造装置「ファミリープラント」を開発し、本格的な販売を開始する。 |
2000年 | 2000年 大豆パウダーや大豆受託粉砕事業を本格的に開始する。 |
2001年 | 2001年 オカラの出ない豆腐製造ミニプラント「FS-300」を開発する。 |
2002年 | 万古焼でつくった「萬来鍋」を開発し、大ヒット商品となる。一般用の萬来鍋を開発しカタログ通販部門に進出する。 |
2003年 | 萬来鍋が三重ブランド優秀賞を受賞する。テレビ通販へも販売を開始する。 飲料向け大豆パウダーを開発し販売を開始する。 |
2004年 | 北米の展示会に出展を行い(アナハイム、シカゴ)、萬来鍋、豆乳等の米国での販売を開始する。 中小企業庁、中小企業整備機構の推薦で企業未来15傑に選出され「あの会社が元気なのには理由がある」(同文館出版)が出版される。 |
2005年 | 大豆まるごと豆腐の健康有効性が栄養学会にて発表される。 |
2006年 | 大豆まるごと事業が「日本環境経営大賞」を受賞。 粉砕事業開始 |